9/20/2012

中国の誤算

個人的に考えたこと。まぁ,間違っているかもしれない。

中国は「毛沢東」を抹消しなかったことが最大の痛い話ですね。いつも亡霊のように現れてくる。実は,私は中国左派の首領は「毛沢東」だと思っているのですよ。いわゆる文化大革命が起こったときに時代を共有した人なんですね,私。あの頃は何が起こっているのか,誰が正しいのかなんてまったくわからなくて,中国画報なんかを見て(当時は喘息もちで近所の病院が共産党系だったもので),いわゆる文革が中国にとって「正しい」行動なんだって思ってました。長じて,その頃のことを色々と調べるにつれ,「あり?」てな漢字になったんです。当時,ラジオで「北京放送(だったか?)」で総理と「毛沢東」の逝去を耳をそばだてて聞きました。というのも,私は「社会科」大好き人間で,中学生の頃から新聞や例の病院の画報なんかで知識を仕入れ,場合によっては教師に議論をふっかけていたんです(青い!)。

そしてかすかすで大学に合格するわけですが,それも歴史関係の学科で,orzなほど史料が存在するんですね。色々な文献を渉猟し(当時は学部生でも国会図書館に行けました),その中でようやく「事実」(どこまでがrealかはわかりませんが),見えてきました。劉少奇と彭徳懐の無残な末路,総理の養女の凄惨な死。そして「毛沢東」のあくなき権力欲とそれに寄生する勢力を。

そして起きました「第一次天安門事件」。北京市民はわかっていたのです。誰がみなを守っていたのか,誰が本当の中国の守護神なのかを。それに真っ向からNOを突きつけたのが,いわゆる「四人組」です。弾圧が何ものをも生み出さない,それを体現したのが共産中国ではなかったのですが。その思いは見事に打ち砕かれました。しかしながら,中国市民の思いは死にはしませんでした。確かに政治の力学が働いたでしょうが,一瞬の市民の気持ちが状況を劇的に変えたと今でも思っています。林彪の事件はまた別ですけどね。

長くなりましたが,結局後継者たちは「毛沢東」を自分の都合のよいように使ってきたわけです。それが今のデモの中でも生かされているわけです。中国指導部がうまく使い続けることが出来ればいいのですが,どうもそうではないのではないかと。 ということで唐突ですが,「鄧小平」しか「毛沢東」を抹殺できなかったのです。彼が抹殺できないのであれば,そりゃ江沢民だって抹殺できない。というか利用しようとしているとしか思えない。

総理!私はあなたを尊敬し続けいていることを一切後悔していません。しかし,あなたの後継者たちには,高邁な思想はありません!それがあなたの人材育成の最大の欠点です。

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